Garage Lion 

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オーナー概要

Last update: 2007.07.04

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Lionって誰?...

 と言っても、大した奴ではないのですが一応こんなクルマ遍歴をもっている、という自己紹介です。 幸か不幸か人生の何割かを海外で過ごしてきたので一部からはヘンな奴と思われているフシもあります・・・(汗

 ヨロシクお願いします。<m(__)m>

Lion(らいおん)のスペック

出身地 東京都 居住地 東京都
性別 年齢 結構イッテます
血液型 A型。 1980年代をずっと欧州で過ごしていたため「BSE(狂牛病)の疑いアリ」ということで日本では献血できないんです。 家族 既婚。 妻+子ども二人
クルマとのかかわり

少年時代

 幼い頃から遊園地に行くと必ずクルマ系の遊具で遊んだり、もう少し背が伸びてからはゴーカートに乗るのが大好きでした。  最初にホンモノの四輪自動車を運転したのは確か小学校四年生のときでした。(爆)  クローズドの場所で父親の コラムシフトのブルーバード を動かせた時の喜びは今でも忘れません。 以後免許が取れる年齢になるまで、非公認教習コース(自称)で密かに研鑽を積みました。(今の東京じゃ考えられませんね) 

青年時代

 未成年時代の修行の甲斐あって、普通免許は教習所に通うことなく、東京・府中の自動車試験場で 一発検定 で取得しました。 一発といっても、一回で合格したわけではなく、仮免をとるまでに数回落とされました。  初めて仮免検定で走り出したときは、最初のコーナーでヒールアンドトゥをやって即検定中止。(笑)  ドラテクと試験に受かる運転はまったく別モンだということを知らなかったんですねぇ。  当時は結構アタマに来てましたが、今思えば何回も不合格を喰らって、おまわりさん好みのドライビングをみっちり仕込まれたお陰で、今日までほぼ無事故無違反で生き長らえていられるのかなぁ…、なんて思ってます。(笑)  学生時代には今時の若者と違いマイカーを持つ財力も責任力も無かったので、両親のニッサンローレル、ブルバードなどに乗ってドライブを楽しみました。

海外在住時代

1980年代 フランス東部の田舎町
(写真) 1980年代 フランス東部の田舎町にて

 1980年代はずっとドイツに住んでいた関係で、 アウトバーン はじめ、成熟したクルマ社会のドライビングマナーを体得することが出来ました。  特に、200km/hで流しているクルマのいるアウトバーンを最高でも100km/h程度しか出ないポンコツ車で走った経験はその後の安全意識に大きく役立っていると思ってます。  ヨーロッパで走った距離は、仕事、レジャーあわせて約30万km、年間一万数千キロしか走らない現在とは比較にならないくらい多く、楽しい思い出でいっぱいです。  兎に角、道路、それを管理する行政、警察、そして利用者であるドライバーまで、社会に関わる人、物が成熟した大人の国です。  カネの為なら何でもアリ、でも根本は無策で国民を子ども扱いしている日本社会が情けなく思えます。

 初めてのマイカーは、購入時点で推定走行距離約10万km、5万円(邦貨換算)で買った中古の72年式ビートル (ケーファー=Käfer)でした。 エンジンを二回乗せ換えてドイツを拠点にイギリス、スイス、フランス、オーストリア、イタリア、ベネルクスなどヨーロッパ中を20万km近く走破しました。  工具を揃え、修理書を買いあさって、とにかく弄りまくりました。  チューニングというより、オンボロ車で年中不調箇所だらけだったので弄って修理せざるを得なかったというほうが正しいのかもしれません。  構造がシンプルで自動車の基本を学ぶにはうってつけのクルマでした。 21世紀のハイテク車でも基本構造はたいして変わっていませんから面白いものです。

 その後、当時F-1で活躍し始めてヨーロッパでも注目されつつあった ホンダシビック を新車で購入して、一年半で5万km走破。 小粒ながらも良く走りました。 アウトバーンでは常に速い後続車に注意しながら走る「譲る側」を卒業して、ようやく「譲られる側」に進級できました。(笑)  速いドイツ車に乗ってみたい気持ちはありましたが、そんなお金はなかったんですねぇ・・・ で、それはそれで順番として良かったのだと思っています。 

中年時代

 ドイツ時代はクルマがないと生活が成り立ず毎日500km以上走ったこともザラでしたが、東京では別に必需品ではないんですねぇ・・・ 持ってたって、渋滞だらけで速い車なんて走らせるところがないですしね。  帰国後はエコライフ気取りでマイカーなしの生活を続けていたのですが、2年を過ぎた頃、遂に耐えられなくなり、新車で買ったのがトヨタのMR2(SW20)です。 ハイパワーの罠にハマってしまい、最初のII型は225馬力、次のIII型は245馬力、スバル・レガシィに乗り換えてからは280馬力が二回と293馬力…、とまったくもって反社会的行為です。(爆)  44馬力(DIN)のビートル、90馬力(DIN)のシビックで走ってた頃のほうがマトモでした。  東京ではクルマが生活道具から趣味のオモチャになっていますが、無いと寂しいと思うのが私の世代なのかもしれません。

 MR2の頃は、せいぜいオーディオを弄るくらいでしたが、レガシィに乗ってからビートル時代の弄り癖が徐々に復活してきました。 気がついてみたらお金の無かった20年前には買えなかったような工具も次々揃えて、エセ工具ヲタぶったりもしています。

 年(?)とともにジャッキアップは億劫に感じるようになってきましたが、それでも車に触っていると無心になれてリラックスできる気持ちだけはまだまだ衰えそうにありません。

 

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